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2009年1月17日 (土)

大好きなおばあちゃん

いつものblogではなく、
私の記憶のために日記を書きました。
祖母の亡くなった話なので
スルーしてください。






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15日の17時15分…
最愛の祖母が亡くなりました。
92才でした。

12月13日からずっと入院していて
その前まで入院しても1週間くらいで
退院…って感じだったので
今回もそんな感じだろうと思っていました。

あの日はデイサービスで
お風呂に入れてもらっていたらしいんです。
お風呂嫌いだった祖母だけれど
入ったら入ったで気持ちいいんだろうなぁ…
母も私もそんな風に思っていました。

ただ、もうすでに90歳過ぎているし
くりかえしていた入退院は
軽い脳溢血などだったんです。
そんなだったのでお風呂に入って
ちょっと温まりすぎたのか
脳の血管が切れてしまったのかもしれません…。

今回入院したときも
「ちょっと長くなるかも…」ってことでした。

その言葉で「もしかしたら…」とは思ってましたが、
本当にそのもしかしたらになるとは
思いもしなかったので
15日のお昼に母から
「もうあと数時間だって…お医者さんが…」と
聞いたときには信じられませんでした…。

病院にかけつけて
祖母が一生懸命自分で呼吸してるのを見て
とりあえずホッとしました。

それから姉が来て、姉の義母も来て、
祖母の知り合いの方が数人来て…
母も遅れてやってきて…

祖母の血圧は下がったり…上がったり…

前の日までには輸血をしていたらしいんです。
血圧が下がりすぎてるから…と
輸血だったんだけれど
輸血するたびに今度は下血。
そのくりかえし…

でももう高齢のため
下血する原因を調べることができないらしい。

叔父と母との話し合いで
「無理な延命はしない」と決めていたらしいので
これ以上の輸血はやめようってことになったらしい。

たしかに輸血を続けてれば
もう少し長く生きられたかもしれない。
でも下血の繰り返しはさらに負担になったと思う。
少し前までは起きたら
「痛い痛い」と、体のあちこちが痛かった祖母。
その痛みから解放されただけでもよかったのかもしれない。
頭では理解できるんだけど…

…だけど…私は祖母が生きていてくれるだけで
それだけでよかったのに…という気持ちがいっぱいで…
大好きだったおばあちゃんが…
こないだまでしゃべってたおばあちゃんが…
こないだまで自力で歩けてたおばあちゃんが
寝たきりになっただけでもビックリなのに
まさかもういないなんて…

亡くなるまではずっと血圧を測る機械を付けてましたが、
夕方…17時くらいかな?
急に先生と看護婦さんが違う機械を持って部屋にきました。
「もうあと数分だと思うので」…と。
それからは「えっ?うそっ!だってまだ息してる…」と、
なんだかわからないうちにバタバタと時間が過ぎました。

確かに脈拍が…駆けつけた当初は100くらいだったのに
だんだんと90…その数分後には80…と
だんだんゆっくりになってきて気になってましたが
そんな感じにゆっくりとゆっくりと
少しずつ命の灯火が小さくなっていく感じでした。

血圧も上が40台、下が20台…ととっても低くなっていて…
上が80台を割ると危ないと言われている中で
祖母は心臓が強いからお正月くらいに普通なら亡くなってる
ところを15日も長く生きていたらしいです。

看護婦さんにも先生にも「(生命力が)強い人ね〜」って
言われていたそうです。
本人もまだ話せたときに
「なかなか死なない…」なんて言ってたそうです。

そんな祖母も亡くなる間際には
眠るように静かになって
そして数回息がつまった様な?
なんか話をしてるような感じ?があって
そしてそのまま亡くなりました。

姉と2人で祖母の名前を呼んで
「ありがとう…ありがとう…」と伝えました。
聞こえてくれてたかな…伝わったのかな…。
その後は祖母にすがって泣いてました。
よくあるドラマのワンシーンの様なこと
本当にあるのかな?なんて思っていたけれど
実際に直面すると自然とそうなるんだ…って
今回初めて知りました。

そしてそれがどんなに悲しいことかも…。

今でもその時のことを思い出して泣いてしまいます。
実際…今も涙が止まらなくなっちゃいました。
きっと一生忘れられないと思う…。
忘れちゃいけないと思う…。

なぜかその時には母がいて、姉がいて、
私がいて…そして
離れて暮らしている父がいました。
きっと祖母が会わせたのかな…。
祖母が呼んだのかな…って思いました。

その後、看護婦さんが祖母をきれいにしくれて
見ると…別人の様になっていて
かなり違和感がありました。

それでも…とても92歳とは思えない
肌のきれいな…素敵なおばあちゃんでした。



 

昨日は「友引」だったので
1日ゆっくりと準備などをすることができました。
忙しくしていることで祖母の死を紛らわせた様な気がします。

いつかこんな日が来るんじゃないか…とは
予想していたので、
お通夜の受付に…最近写真など飾ってあるじゃないですか。
在りし日の…みたいな。
それを作っておきたいな…と思っていたけど
まさかこんなに急に亡くなると思っていなかったので
もちろん作ってないし、時間もそんなにないし…。

それでもできることはしておきたい、
できなくてもやれるところまではやってみようと思って
午前中、ダイソーに行って額を買ってきて
速効で写真プリントして…2枚だけ作ってみることにしました。

こういうときって変なパワーで出てくるんですね。
いつもダラダラ考えながら作ってる私ですが
1時間くらいで1つ作ることができました。
自分でもビックリしました。

もちろんいつもみたいに手縫いしたりミシンだしたりとか
手間のかかることは全くせず
PPやお花を貼っただけのものにしましたが、
時間をかけなかった割には満足できるものができました。

少しだけど、生前の祖母のことを飾ってあげられてよかった。
こんなことしかできないけどSBやっていてよかったかな?



今日は夕方からお通夜があります(17:00〜)。
告別式は明日(12:30〜13:30)です。

祖母は夕方までがんばって息をしてましたが、
その後いろんな手続きをするに当たって
めちゃくちゃ夜遅くなることもなく
すごい朝早かったわけでもなく、
斎場も火葬場も普段はいっぱいなのに
ちょうど空いていたらしいし、
土日なので子供達は学校休まずにすんだし、
叔父もたまたまのことがあって
お仕事をお休みしていたので駆けつけることもできたし、
なにもかもがスムーズに進んで…
きっと祖母がみんなに迷惑をかけないように
選んでこの日に逝ったのかもしれないと思う程でした。

叔父といえば…
ちょうど祖母が入院したころから亡くなる日まで
歯周病から悪化して大変なことになっていたそうです。
きっと…虫のしらせ…ってやつなのかもしれません。

みぃも1週間前からなぞのブツブツ発疹があったんだけど
なかなか消えないと思っていたら
最近になってさ〜っと消えてきました。
これもまた原因不明だったこともあるし、
虫の知らせだったのかも…。
熱もないし、痛みもかゆみもなかったし…。

それ考えると…叔父への虫の知らせって…
かなり手荒ですよね。w

でもなんかこういうことってあるんだなぁって思いました。


それではそろそろいろんな用意をはじめます。
昨日も今日も思い出しては涙が出て…
今日、明日…バファリン持参でがんばってきます。

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